2014年2月17日月曜日

2月8日夜から9日朝にかけ 東京千葉は45年ぶりの大雪 翌週 14日夜から15日にかけまたもや大雪 雪のそなえがないのであちこちトラブル続出。 景色は抜群ですがねぇ。 標高差40センチ スロープ1メートル50センチほどの小さな小さな 坂を幼稚園児か1年生くらいの子供3人がはこゾリであそんでいる。 2時間ほどキャァキャァ騒ぎっぱなし。 1、2、3で終わってしまうスロープなんだけど。 持って歩くほうが時間かかるんだけど。 ほんとに楽しそうだった。 見ているほうも訳もなく楽しかった。

2014年2月7日金曜日

2月3日 映画「永遠の0」観ました。 その前に百田尚樹の原作を読みました。 まずこの本を読んで「零戦」のすばらしさを初めて知った。 「零戦」ってすごかったとはいやになるほど聞かされたけど なんですごいと言うのかわからず、ただの軍国少年のあこがれの 象徴ぐらいにしか思わなかった。 航空技術として開発当時は世界的に群を抜いていたことを知りました。 ・・・・ 余談になるけど。宮崎駿ファンでどの作品も大好きだったのに、 零戦の設計にまつわる「風立ちぬ」はみんなの評価は高いようですが 私にはいまいちピンときませんでした。 零戦のすばらしさなんかちっともわからなかった。 「零戦はすばらしいいもの」という前提でつくったのかな? それ以前の作品とは趣がちがうと宮崎氏も言っていたから それはわかっていたけど・・・・・? もう一度見直してみようと思っているけど。 また当時の戦闘機による戦争のやり方 実際の具体的な動きを おおまかながらしりました。 私は当時の国民は教育され洗脳されたごとき状態と誰かに言われ そう単純に信じた。 しかしそう単純に物事が進んだのではなかったらしい。 単純に洗脳され信じられたならまだ気楽な部分もあったでしょうが、 そう簡単に信じられなかったから 当時の心ある分別を持った人ほど 苦しんだでしょうね。 避けられない戦争による死をなんとか狂わずに受け止めていくには 大事な人を守るために・・・という大義名分を自分に言い聞かせて いたのかもしれません。 当時戦争に赴いた人たちの苦しみや悲しみを結構わかっているつもりでしたが とんでもなかった。 同じ死を覚悟したと言っても特攻で飛び立った者と特攻要員では全然違うと いうくだりがあるけど あぁ確かにそうかも・・と思う。 かつて特攻隊員の遺稿集のようなものを読みましたが 私は全く字面だけを読み滑っていたのだと思いました。 もう一度読み直したい。 私は文中に出てくる慶子の恋人の「高山」みたいな 浅はかさを自分に感じました。 おかしいとイヤだと多くの人が思っていても 形にしきれなかった。 そここそがこれから私たちが身につけていかなければならないところと 思いました。 これは頭でそうなんだと知ってもそれだけでは非常に弱い。 これは実地で何回も何回もつぶされそうになっても 知恵をふりしぼって対抗していく訓練が必要なことと思い知った。 みんなこぞって戦争に戦争にとすすんだわけではない。 戦争反対と口に出し心から戦争はいやだと思っているけど いつの間にか巻き込まれてしまった。 これからは「知ること」と「自分の軸をゆるがせないこと」と「力を合わせること」 これを身につけることが大きな課題です。