2014年10月17日金曜日





日本列島大きな事件と台風で秋を楽しむひまがなかった。
よく見ると花はいつしか秋の花にかわっていました。

2014年8月28日木曜日

そして萩が!

神楽坂の帰り、我が家近くのバス停で今年初の萩が
一つ咲いたのを見つけた。
神楽坂

久しぶりに神楽坂に行った。
ちょっと小粋な きれいな街だったが・・・。
メインストリートの神楽坂下から坂上~そして
またちょっと下る・・・この通りはちょっと猥雑になっていた。
脇にそれる小径はまだ昔の(と言っても 私の知っている
2,30年前のこと)面影があって よかった。

芙蓉の花

自転車でいつも通る道。
ふわぁ~んとした優しげな花が咲いている。
芙蓉っていう花らしい。
葉は結構固いけど 花はやわらかくやさしげです。

2014年8月27日水曜日

舞浜駅回復!

震災で舞浜駅の1F地上のバス停全面は
液状化で3,40cmのうねりで大小のコブのようになった。
1年ちかく(?多分そのくらい) 尖ったゴツゴツそのまま。
昼間でも歩くのが怖かった。
その後3、40cmのうねりはそのままで とがったところを
なめらかにした。
キャリーバッグなどもってバスを待つときやハイヒールで
並ぶ時は難儀でした。
震災後3年たってもその状態には やり場のない怒りを
感じた。しかし東北の被災者を思うと声には出せなかった。
この相対的に考えて我慢するのは 自分のみみっちさを
突きつけられ いやな時間でした。
今日降り立ったらきれ~になっていて 嬉しかった!
忘れないでと言うけど。忘れたいよ。

オクラ


オクラは好きだけど あの種のゴロゴロした感触がイマイチだった。
縦に切って種をとってみたけど せっかくの星型がなくなり
これまた残念でした。
今日は星型に丸きりしてから 中の種を取ってみた。
ちょっと面倒だけど 星型が綺麗に残り ちょっと可愛くすてきでしょ。

料理はいつもの定番。
トロロ芋とオクラとおかかだけ。
いつものゴツゴツ感がなく、ばっちりグー。

朝顔真っ盛り

朝顔が今を盛りと咲き誇っている。
昨年は真っ盛り時には1日100ヶ近く花をつけたけど
今年は途中からせてしまい3本だけかろうじて
残った。
その分大輪でみごと。
裏庭の1本はこのところ大きなのを20ヶくらい咲かせる。
シフォンのようなやわらか~な花弁が ビロードのように
つややか。
小雨に 風に ふるえるように咲いている。

2014年8月23日土曜日

広島の土砂災害

20日未明広島市の住宅地をいく筋もの土石流がおそう。
初めは死者行方不明者20数名といわれていましたが、
現在は91名とされている。地形的なもの土地の材質的なもの、
時間的なこと、警報の出し方、経験のない雨の降り方
・・いろんな不運が重なってしまった。
地震・津波・土砂崩れ 自分や家族をどう守っていけばいいのでしょうか。
無力感におそわれます。
・・・・ご冥福をおいのりします。

2014年7月4日金曜日

岩手二日目

19日の宿泊は一関「蔵ホテル一関」
明け20日はバスで猊鼻渓(げいびけい)に行き
往復約1時間半の「舟下り」
往復だから下りだけではないけど。
川の流れは見た目にはゆったりとおだやかでした。
石灰岩の岸壁がそそりたって そこに若葉が生い茂って
いる光景は、これぞ「パワースポット」です。
川の水はすんで ウグイやはや、そして大きな鯉が
たくさん泳いでいるが よくみえ童心に帰りました。












 

2014年7月3日木曜日

行ってきました、平泉

先月19日20日(一泊二日)、先に世界遺産となった
平泉にいってきました。
  ・中尊寺
  ・毛越寺
  ・観自在王院跡
  ・無量光院跡
  ・金鶏山
この5ヶ所で世界遺産平泉は成り立っています。
 
まず世界遺産よりなにより、瑞々しいたっぷりの若葉に感激。
                                                        (中尊寺の一角)  
                                                                                   (金色堂入口)

                                                            (毛越寺庭園)

  
(庭園のあやめ)
 
 

2014年7月2日水曜日

3・11震災

2014/6/30
石井光太著(新潮文庫)
『遺 体』読了


失われた命は二万を超した。
でも助かった者も喜ぶ寸暇はあたえられなかったのね。
津波が収まって直後から 全容もわからないまま
現実に投げ込まれていったのです。
市の職員も医者も葬儀社も僧侶も消防団員も・・・通常「死」に
直面し慣れた人たちでさえ その何百倍もの数に
圧倒されうちひしがれそうになります。
そんな中 ご遺体を一刻も早く家族のもとに
帰してやろうと、「早くうちに帰りたいだろう?もう少し待っててね」と
無念の物言わぬ主にこえをかけながら 奔走した方たちの
ドキュメントです。
そんな尋常でない経験もマニュアルもない中、
それぞれが折れそうな心を自身で支えながら、黙々と。
亡くなった方は勿論です。助かった人も一人ではとても背負いきれない
ものを有無を言わせず背負わされたのです。
涙で何度も読み進めなかった。

2014年6月28日土曜日

今日も雨

朝からしとしと。
最近は40年ぶりとか50年ぶり、また経験したことのないなどと
表現される天候が多いけど、今日は昔からの梅雨時の雨の降り方。


 (ぬれてみずみずしい姫ひまわり) 
 
(雨の駐車場)

2014年6月27日金曜日

ちょっとうつっぽい。

もう6月も終わりです。
やっと元気が出てきたよう。
以前は雨の日はすきでしたが 最近は気分が落ち込みやすくで
苦手。
かんかん照りでも健気に咲く姿を想像して
松葉ぼたんを買ってきた。

しかし雨にはやっぱり紫陽花が似合います。

                                         
                                                                      (ふれあいの森公園にて)





 

2014年4月12日土曜日

さぁ新学期!

私のイエナプラン再始動。

私のほしいと願っている内容か注文するときはどきどきだった。
だって5040円もするから、私には高額!
目次をみて「うん、これだ」と思った。
同時に春の繁忙期突入、セールをはったり 他店の応援・・・あっというまに4月。
始めなきゃ始まらない。
わかってもわからなくても・・わからなきゃ自分にわからせるようにやらなきゃ・・せめて半分くらいはわかった感触を持ちたい。
自分の目指すものがこれでいいのかがかかっているから。
1日2~3ページでもいいから、理解したい。

フリージャーも咲き始めた

花の命は短い?
チューリップとアネモネは花弁がはらりとしはじめた。

我が家の庭も春!



アネモネ・ハナニラ・パンジー・ゼラニューム・チューリップ。
そろそろ朝顔の種まきしなくちゃ。

桜が駆け抜けていきました。


3月下旬待ちに待った桜がさいた。
28日29日ははるぅって感じの日でしたが、それから今日まで花冷えの日が多く、おかげで長持ちしました。
でも昨日今日の風で桜はおわりました。
浦安は市内の道路は桜通り、柳通り、銀杏通りのいずれかですので 桜のトンネルはいたるところにあり居ながらにしてお花見ができるのはラッキー。


2014年3月7日金曜日

春はまだかな?

 
2014/03/07
 
日差しは強いけどまだまだ冷たい。
 
チューリップも芽をのぞかせて 様子見sいている。
 
桜の蕾も固ったいけどやっぱり少しふくらんでいるのに。


2014/03/07 今年も又3月11日を迎える。 2011年3月11日東日本大震災から丸3年が経とうとしている。 忘れてはいけないというが 私は正直いって忘れたい。 全て無かったことにしたい。 you tubu で「フクシマの嘘 其の一」「フクシマの嘘 其の二」をぜひ見てほしい。

2014年3月6日木曜日

従妹から「フライヤー」とどく。 彼女の口ぶりでは 仕上がりの味は今一のよう。 しかし中性脂肪や高血圧の治療中の身には 油のいらないフライヤーは試してみたい一品。
「ゴ~ゴ~」っと熱風を送り出す音がすごい。 何事か?と思う。 そうか電熱器で火を通すのではなく、熱風で火を通し油で揚げたカラリ感を出すことで 納得。 外見はまずまずの出来。
鶏のから揚げはまずまずの味。 70点かな。 衣のつけ方、下味に具合改良次第でまだおいしくなりそう。

2014年2月17日月曜日

2月8日夜から9日朝にかけ 東京千葉は45年ぶりの大雪 翌週 14日夜から15日にかけまたもや大雪 雪のそなえがないのであちこちトラブル続出。 景色は抜群ですがねぇ。 標高差40センチ スロープ1メートル50センチほどの小さな小さな 坂を幼稚園児か1年生くらいの子供3人がはこゾリであそんでいる。 2時間ほどキャァキャァ騒ぎっぱなし。 1、2、3で終わってしまうスロープなんだけど。 持って歩くほうが時間かかるんだけど。 ほんとに楽しそうだった。 見ているほうも訳もなく楽しかった。

2014年2月7日金曜日

2月3日 映画「永遠の0」観ました。 その前に百田尚樹の原作を読みました。 まずこの本を読んで「零戦」のすばらしさを初めて知った。 「零戦」ってすごかったとはいやになるほど聞かされたけど なんですごいと言うのかわからず、ただの軍国少年のあこがれの 象徴ぐらいにしか思わなかった。 航空技術として開発当時は世界的に群を抜いていたことを知りました。 ・・・・ 余談になるけど。宮崎駿ファンでどの作品も大好きだったのに、 零戦の設計にまつわる「風立ちぬ」はみんなの評価は高いようですが 私にはいまいちピンときませんでした。 零戦のすばらしさなんかちっともわからなかった。 「零戦はすばらしいいもの」という前提でつくったのかな? それ以前の作品とは趣がちがうと宮崎氏も言っていたから それはわかっていたけど・・・・・? もう一度見直してみようと思っているけど。 また当時の戦闘機による戦争のやり方 実際の具体的な動きを おおまかながらしりました。 私は当時の国民は教育され洗脳されたごとき状態と誰かに言われ そう単純に信じた。 しかしそう単純に物事が進んだのではなかったらしい。 単純に洗脳され信じられたならまだ気楽な部分もあったでしょうが、 そう簡単に信じられなかったから 当時の心ある分別を持った人ほど 苦しんだでしょうね。 避けられない戦争による死をなんとか狂わずに受け止めていくには 大事な人を守るために・・・という大義名分を自分に言い聞かせて いたのかもしれません。 当時戦争に赴いた人たちの苦しみや悲しみを結構わかっているつもりでしたが とんでもなかった。 同じ死を覚悟したと言っても特攻で飛び立った者と特攻要員では全然違うと いうくだりがあるけど あぁ確かにそうかも・・と思う。 かつて特攻隊員の遺稿集のようなものを読みましたが 私は全く字面だけを読み滑っていたのだと思いました。 もう一度読み直したい。 私は文中に出てくる慶子の恋人の「高山」みたいな 浅はかさを自分に感じました。 おかしいとイヤだと多くの人が思っていても 形にしきれなかった。 そここそがこれから私たちが身につけていかなければならないところと 思いました。 これは頭でそうなんだと知ってもそれだけでは非常に弱い。 これは実地で何回も何回もつぶされそうになっても 知恵をふりしぼって対抗していく訓練が必要なことと思い知った。 みんなこぞって戦争に戦争にとすすんだわけではない。 戦争反対と口に出し心から戦争はいやだと思っているけど いつの間にか巻き込まれてしまった。 これからは「知ること」と「自分の軸をゆるがせないこと」と「力を合わせること」 これを身につけることが大きな課題です。

2014年1月25日土曜日

池井戸潤の「下町ロケット」を読みました。 くやしくて、腹がったって、がっくりきて、ホロリとして、やったーと喜んで・・・・ 心臓に悪いほど気持ちをゆさぶられました。 国の宇宙科学開発機構の研究員をしていた「佃」が、父親の死に伴い 家業の鉄工所を継ぎ経営に四苦八苦します。 そんな中でもただ作って売るだけでなく その中にいかに自身の夢を 織り込んでいるか、いけるか。 またそれを自分だけの夢ではなくいかに会社全員の夢にしていくか。 こんなとてつもない夢に向かう「佃」といっしょに私も悩み考え喜びました。 諦めない心と本気度なんかなあ。、

2014年1月18日土曜日

1:17黙とう出来ない

昨日は阪神淡路大地震から19年。 毎年のように1月17日には映像が目に飛び込んできますが あの3:11の東日本の震災以後は何故か冷静に見られない。 テレビを消したくなる。 原発にたいしてほとんど無力な人間の力が私を打ちのめすのです。 かろうじて残っている小さな希望の灯まで あざ笑うかのように。 ほぼ3年たって何が進んでいるのでしょう。 殆ど応急処理の後始末の段階ではないでしょうか。 それもあまりに稚拙なやり方で。 人間の力で後始末の出来ないようなものは作ってはいけない。と思った。 国や行政、マスコミは何かやっているような、すすんでいるような 欺瞞にみちた発表やポーズをやめてほしい。

2014年1月9日木曜日

嬉しいよ!

10月の記事を最後に投稿画面がでなくて 三か月もウロウロしてしまった。 自分の家に締め出しをくったような なんとも締まらない話が恥ずかしく自力で毎晩がんばってみたけどお手上げ。 恥をしのんでパソコン教室の先生にPCを持ち込んだ。 始めは同じようなやり方で四苦八苦していましたが、さすが先生!1時間内で原因をつきとめた。 嬉しい!感謝感謝!。