2014年8月28日木曜日
2014年8月27日水曜日
舞浜駅回復!
震災で舞浜駅の1F地上のバス停全面は
液状化で3,40cmのうねりで大小のコブのようになった。
1年ちかく(?多分そのくらい) 尖ったゴツゴツそのまま。
昼間でも歩くのが怖かった。
その後3、40cmのうねりはそのままで とがったところを
なめらかにした。
キャリーバッグなどもってバスを待つときやハイヒールで
並ぶ時は難儀でした。
震災後3年たってもその状態には やり場のない怒りを
感じた。しかし東北の被災者を思うと声には出せなかった。
この相対的に考えて我慢するのは 自分のみみっちさを
突きつけられ いやな時間でした。
今日降り立ったらきれ~になっていて 嬉しかった!
忘れないでと言うけど。忘れたいよ。
震災で舞浜駅の1F地上のバス停全面は
液状化で3,40cmのうねりで大小のコブのようになった。
1年ちかく(?多分そのくらい) 尖ったゴツゴツそのまま。
昼間でも歩くのが怖かった。
その後3、40cmのうねりはそのままで とがったところを
なめらかにした。
キャリーバッグなどもってバスを待つときやハイヒールで
並ぶ時は難儀でした。
震災後3年たってもその状態には やり場のない怒りを
感じた。しかし東北の被災者を思うと声には出せなかった。
この相対的に考えて我慢するのは 自分のみみっちさを
突きつけられ いやな時間でした。
今日降り立ったらきれ~になっていて 嬉しかった!
忘れないでと言うけど。忘れたいよ。
2014年8月23日土曜日
2014年7月4日金曜日
2014年7月3日木曜日
2014年7月2日水曜日
3・11震災
2014/6/30石井光太著(新潮文庫)
『遺 体』読了
失われた命は二万を超した。
でも助かった者も喜ぶ寸暇はあたえられなかったのね。
津波が収まって直後から 全容もわからないまま
現実に投げ込まれていったのです。
市の職員も医者も葬儀社も僧侶も消防団員も・・・通常「死」に
直面し慣れた人たちでさえ その何百倍もの数に
圧倒されうちひしがれそうになります。
そんな中 ご遺体を一刻も早く家族のもとに
帰してやろうと、「早くうちに帰りたいだろう?もう少し待っててね」と
無念の物言わぬ主にこえをかけながら 奔走した方たちの
ドキュメントです。
そんな尋常でない経験もマニュアルもない中、
それぞれが折れそうな心を自身で支えながら、黙々と。
亡くなった方は勿論です。助かった人も一人ではとても背負いきれない
ものを有無を言わせず背負わされたのです。
涙で何度も読み進めなかった。
2014年6月28日土曜日
2014年6月27日金曜日
2014年4月12日土曜日
桜が駆け抜けていきました。
3月下旬待ちに待った桜がさいた。
28日29日ははるぅ~って感じの日でしたが、それから今日まで花冷えの日が多く、おかげで長持ちしました。
でも昨日今日の風で桜はおわりました。
浦安は市内の道路は桜通り、柳通り、銀杏通りのいずれかですので 桜のトンネルはいたるところにあり居ながらにしてお花見ができるのはラッキー。
2014年3月7日金曜日
2014年3月6日木曜日
2014年2月17日月曜日
2014年2月7日金曜日
2月3日 映画「永遠の0」観ました。
その前に百田尚樹の原作を読みました。
まずこの本を読んで「零戦」のすばらしさを初めて知った。
「零戦」ってすごかったとはいやになるほど聞かされたけど
なんですごいと言うのかわからず、ただの軍国少年のあこがれの
象徴ぐらいにしか思わなかった。
航空技術として開発当時は世界的に群を抜いていたことを知りました。
・・・・
余談になるけど。宮崎駿ファンでどの作品も大好きだったのに、
零戦の設計にまつわる「風立ちぬ」はみんなの評価は高いようですが
私にはいまいちピンときませんでした。
零戦のすばらしさなんかちっともわからなかった。
「零戦はすばらしいいもの」という前提でつくったのかな?
それ以前の作品とは趣がちがうと宮崎氏も言っていたから
それはわかっていたけど・・・・・?
もう一度見直してみようと思っているけど。
また当時の戦闘機による戦争のやり方 実際の具体的な動きを
おおまかながらしりました。
私は当時の国民は教育され洗脳されたごとき状態と誰かに言われ
そう単純に信じた。
しかしそう単純に物事が進んだのではなかったらしい。
単純に洗脳され信じられたならまだ気楽な部分もあったでしょうが、
そう簡単に信じられなかったから 当時の心ある分別を持った人ほど
苦しんだでしょうね。
避けられない戦争による死をなんとか狂わずに受け止めていくには
大事な人を守るために・・・という大義名分を自分に言い聞かせて
いたのかもしれません。
当時戦争に赴いた人たちの苦しみや悲しみを結構わかっているつもりでしたが
とんでもなかった。
同じ死を覚悟したと言っても特攻で飛び立った者と特攻要員では全然違うと
いうくだりがあるけど あぁ確かにそうかも・・と思う。
かつて特攻隊員の遺稿集のようなものを読みましたが
私は全く字面だけを読み滑っていたのだと思いました。
もう一度読み直したい。
私は文中に出てくる慶子の恋人の「高山」みたいな
浅はかさを自分に感じました。
おかしいとイヤだと多くの人が思っていても 形にしきれなかった。
そここそがこれから私たちが身につけていかなければならないところと
思いました。
これは頭でそうなんだと知ってもそれだけでは非常に弱い。
これは実地で何回も何回もつぶされそうになっても
知恵をふりしぼって対抗していく訓練が必要なことと思い知った。
みんなこぞって戦争に戦争にとすすんだわけではない。
戦争反対と口に出し心から戦争はいやだと思っているけど
いつの間にか巻き込まれてしまった。
これからは「知ること」と「自分の軸をゆるがせないこと」と「力を合わせること」
これを身につけることが大きな課題です。
2014年1月25日土曜日
2014年1月18日土曜日
1:17黙とう出来ない
昨日は阪神淡路大地震から19年。
毎年のように1月17日には映像が目に飛び込んできますが
あの3:11の東日本の震災以後は何故か冷静に見られない。
テレビを消したくなる。
原発にたいしてほとんど無力な人間の力が私を打ちのめすのです。
かろうじて残っている小さな希望の灯まで あざ笑うかのように。
ほぼ3年たって何が進んでいるのでしょう。
殆ど応急処理の後始末の段階ではないでしょうか。
それもあまりに稚拙なやり方で。
人間の力で後始末の出来ないようなものは作ってはいけない。と思った。
国や行政、マスコミは何かやっているような、すすんでいるような
欺瞞にみちた発表やポーズをやめてほしい。
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